音を愛し、ギターを愛し、エフェクターを愛した。偏愛が故の蒐集に溺れ、音の樹海に迷い込んでしまった男が一人。時おり呆然と佇みながらもさらにその奥へと迷い込んでいく。小箱に秘められた壮大なロマンの叙事詩の一端を紐解いていく。

音の樹海の果てにて極彩色。

職業を聞かれるのがキライだ。
そのような質問の際、私は楽器を作っていると答える。
おそらくそれが一番近い答えだ。
ただそこから生まれる質問者の頭の中の想像と実像はどんどん乖離していく。
だからキライだ。

私はバンド活動を通して楽器を知った。
いつも楽器は私にとって新しい世界を見せてくれる素晴らしいツールだった。
特にエフェクターと呼ばれる楽器には惹かれた。
理由はもう今は覚えていないが黒や茶色といった渋い色が多い楽器の世界に於いて
様々な色、さらにコレクションできそうな小ぶりなルックス、試しやすいプライス、そして同じジャンルにありながら
その全てが音が違うという多様さにやられたのかもしれない。

この時点で既に道を間違え樹海に迷い込んでいるのであるが当時の私にはまだそれがわからない。
いつしか音楽と言うよりも音そのものに興味を持ち、中でもギターの音に過剰に敏感になってしまった。

何をどうすればあの時代のあの音楽家の音が出せるのか。
ネットを使って手に入れた情報で、ネットを使って当時の機材を手に入れて実験した。
夜な夜な実験を繰り返した。その頃には勤めていた会社はもう辞めていた。

手に入れたエフェクターを手放し、また購入する。
音を記憶し、頭の中に書き留めてまた放出する。
こんなことを2年繰り返した。
ギターの音、エフェクターの音を学んだ貴重な時間だ。

私の偏愛ぶりに最初に気づいたのは海外の人間だった。
当時カネも無いので貴重な機材でさえも放出しないと生活出来ない。
資料級の機材を惜しげも無く放出するアカウントに、海外のフォーラムはその度にざわついた。

そんなことをしているうちに意を同じくする同志が増え始めた。
最初は全てアメリカ人だった。いろんな話を聞いた。
回路、筐体、コンデンサによる音の差異、様々な意見を交換して知識を吸収していった。

私は意を同じくする仲間が世界に数人であるが出来た。
彼らこそ二度と現れない知己である。
ちなみに今でも回数こそ減ったが当時と変わらない密度の交流を続けている。

彼らとは手に入らない機材の貸し借り、売買を繰り返した。
ROSSのコンプレッサーやラムズヘッドなどの名作を数台並べて
夜な夜な弾き比べた。

そのときだった。

私の頭の中で音が光とリンクした。

音は頭の中で強烈な光彩を放ち、
皮膚は温度を感じなくなった。厳密に言うと寒さも暑さも心地よい。
頭の中で強烈な色が舞い始めた。

この時からである。
私は頭の中にあるそのときの強烈な色を意識し音を探し始めた。
同じ色ではあるがより色の濃いエフェクター達を世界中から一心不乱に探し始めた。

樹海の中で行き先を照らされた気がした。

最初に私に一番の極彩色を見せてくれたのはWren and CuffのMattだった。
数段落前に伝えたかけがえのない私の同志である。カリフォルニアでファズを作っていた。

彼の作った音を始めて聴いたとき、CDでしか聴くことが、そして見ることが出来なかった
あの色が眼前に拡がった。光彩を放つようなオレンジ色。そしてギターから放たれる音の速度も一致している。
現代の楽器でもこの色を放つことが出来るのか。

その後私は彼のエフェクターを日本で販売する事とした。
ここに日本では恐らく初めてとなるエフェクター専門店、ナインボルトが誕生する。
ギターショップでありながらそこにはギターは存在しない。
今はこんなコンセプトのショップはいろいろと存在するが当時は相当バカにされた気がする。
当時のことはあまり覚えていない。私は色を再現する事に必死だったのだ。

私はそのほかにも特異な色を放つ様々なエフェクターブランドを世界中より狂ったように探した。
現在は袂を分かってしまったがEarth Quaker Devicesも当時私が見つけ日本に始めて輸入した。

その後私は自分でも色を放てるのか興味を持ってしまう。。
その話はまた次の機会に。

ここはまだ樹海の入り口。
気づいてみたらだいぶ前に迷い込み、もう帰り道などわからない。

だから私は職業を聞かれるのがキライだ。
私の答えから得る想像と実像はどんどん乖離していく。
だからキライだ。

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川村朋和 / Twitter