ミトサンが気になる表現者たちの素顔に迫るパーソナルインタビュー。映像ディレクター、加藤マニさんのインタビュー後編では、その仕事スタイルをお聞きしました。

年間50本以上のミュージックビデオを制作する映像ディレクター、加藤マニ。後編のインタビューでは、キャリア初期の苦労話から最近の悩みまで、お仕事にまつわる話を中心に聞きました。

いくらだったら嬉しいですか? 映像ディレクター、加藤マニの交渉術

実家の青梅から引っ越した後は?

加藤マニ(以下、加藤)加藤マニ(以下、加藤) 当時つきあってた人と同棲してたんですよ。ブックオフ暗黒時代の貯金がそれなりにあったので、表向きはフリーランスで映像ディレクターやってますということにしてましたが、実際は仕事なんてほとんどありませんので、音楽のリハーサルスタジオで働いてました。めちゃくちゃブラックな労働環境でしたね。

バンド活動はどうだったんですか

加藤 あれだけ夢中になってたバンドも、結局クビになる始末で。そうなると、何故わたしは実家を出て西荻に住んでるんだろう?となってくるわけです。さらに同棲してた人が病気になってしまい、1人で2人分の生活費を稼がなくてはいけない状況となって、これはいよいよフリーランスも潮時かもしれないということで、ホームページ制作会社に入りました。エステの商材を扱うウェブ事業部みたいなところで、私以外は誰もホームページを作れないんですよ。わたしも実はほとんど素人同然なんですが、なんとなく「ええ、作れますよ」って雰囲気を出していたら採用されて。そこから一人でgoogleを駆使してcssとか透過pngとかjavaとか調べながら作っていたら、1カ月くらい経ってそれなりにできるようになってきたんです。ホッとしたのも束の間、今度はわたしを採ってくれた責任者が会社を突然辞めることに。

立て続けにいろいろありますね。

加藤 その方が新しく会社を起こすから、わたしに一緒に来てほしいと言うので付いていくことにして、新中野のボロボロの雑居ビルで働いてました。3年くらい続けましたね。web会社で働きながら、個人で撮影の仕事もという生活を始めるようになったんですが、無理がたたって会社にいる時にひっくり返ってしまい、そのまま救急車で運ばれて、結局退社という流れになったんです。会社自体はすごく自由にやらせてもらえていたので、申し訳ない気持ちもありました。

倒れなかったら仕事は続けてたんですか?

加藤 でも、たぶん辞めていたと思います。月~金で昼間働いて、夜中に撮影の仕事をして、土日も撮影が入ってたりしたので。

でも、撮影はずっと続けられたんですね。

加藤 やってました。ただ、1年くらいほとんど撮ってない時期はあります。2010年くらいなんですが、同棲してた人が出て行ってしまって。

ヘビーですね。

 加藤 その時はどん底状態でしたね。ビデオを撮るのもイヤになってきてしまって。予算的な部分で同じようなことしかできなくなってきていたので、また公園で歩きながら歌うのかよ!みたいな葛藤が自分の中でありつつ。でも、2011年にデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)を買って変わりました。「こんなにできるんだ!」って。それまで使っていたビデオカメラの画質とぜんぜん違った。

キャノンの5Dですか?

加藤 そうです。あれが登場したことで急にテンション上がって、それと同時期に、仲の良かったバンドが少しずつ売れ始めて、ビデオの予算もちょっとずつ上がっていったんですよ。

兆しが見えてきましたね。その当時、自分の中で思い出に残ってるビデオというと何ですか?

加藤 Veni Vidi Viciousの「Good Days」という曲がデジイチで最初に撮ったビデオですね。ちょうど震災の後だったんですが、それもあって印象深いです。

作品のアーカイブを見ると、2011年から急激に数が増えましたよね。

加藤 バンドを担当していた方が転職して、別のレコード会社や事務所に移ると、後任の方から引き続きオファーをもらったり、新しい会社に行った方からもお願いされたりして、その頃から加速度的に顧客が増えました。リピートが多いこともありがたく思っています。わたしは営業をしたことがないので、もし今後干されることがあったとしたらすごく困ると思います。営業のノウハウがないんです。

ギャランティについてはどう考えていますか?

加藤 お金については若い方々からよく相談されます。いくらぐらいが相場で、どうやって交渉するんですか?って。わたしの場合は「いくらぐらいだったら嬉しいですか?」ってクライアントに聞いてました。「いくらでやってくれますか?」って聞かれた時に「いくらだったら嬉しいですか?」って逆に聞いて、そこで提示された金額で大体やってました。



なるほど。

加藤 そうすると自分がどれくらいの価値なのかが分かるというか、自分のギャラの平均値になると思うんです。ただ、最近は技術料とか演出費のようなコストの概念が薄くなってきてる気はしますね。わたしがダンピングしているという説もなくはないです。今はもう少し基準を設けています!

とにかく最後まで完成させることが大切です

マニさんが撮影現場で大事にしていることは何でしょう?

 加藤 いろんなところで言ってるんですが、怒らないようにしてます。自分の現場ではアーティストが「楽しかったね」っていう気持ちで終わらせたいんです。わたしが楽しかったというのではなく、撮られている側にそう思ってもらいたい。だから過度にピリピリしたくないし、ゴリゴリに詰めたくない。役者さんだったら、そういう現場でも「よーい、スタート!」って声がかかれば、すぐに気持ちが作れると思いますが、バンドやアイドルは違いますよね。スタッフが怒鳴られている横で、「はい本番!楽しい感じでお願いしまーす!」と言われても、なかなかできないと思います。わたしのビデオには一定の緩さが常にある気はしていて、空気感として、とにかく楽しげな感じにしたいっていう気持ちが一番大きいです。

マニさんの下で働きたいっていう映像ディレクター志望の若い子もたくさんいるんじゃないですか。問い合わせを受けることも多いですか?

 加藤 よくありますよ。いま手伝ってくれる人たちは、割とそんな感じで集まった面々です。ちょっと不思議だなって思うのは、わたしのところに来るのはガツガツしてない人が多いことです。本当は彼らに向かって何か気になるところがあれば「そうじゃねえだろ! こうするんだよ!」って厳しく言ってあげる方がいいのかもしれないですが、私は怒られた経験がほとんどないので、とにかく怒りたくないんですよ。怒り方がわからないっていう方が適切かもしれません。でも、そうすると彼らの成長率も高くならない気もするし、最近悩んでますね。

(笑)それは難しい問題ですね。

加藤 なんか怒った方がいいのかなって。

現場でトラブルがあっても怒らないんですか?

加藤 自分でなんとかしちゃいますね。例えば、5人のメンバーの前に1つずつ花火を置いて、点火したら砂浜を走っていくっていうシーンがあったんですが、別のアングルで何回か撮るかもしれないから普通は少し多めに花火を用意するじゃないですか。そしたらアシスタントさんが5個しか買ってこなかった。まあ足りてはいるけど……みたいな。

アハハ。

加藤 それでその子も、あっしまった。って雰囲気になったんですね。そうしたらもう怒ってもしょうがないというか。次から気をつけてくれればいいんですっていう。「うん、もっとあったら良かったけど、とりあえずオッケー!」って感じにして、「5個しかないんだ!なんかウケる!」みたいな空気になってくれればいいよねって切り替えました。撮られてる方も周りのスタッフもみんなアッハッハ!みたいな。

ピースフルですね。

加藤 実際は、1人だけなかなか着火しなかった、って演技をしてもらって、未使用の花火を1つ確保しておきました。そのあと、残りの1つで着火した瞬間の寄りのカットを撮影しています。なんだかんだ、何とかできるという自信があるから怒りの気持ちが湧きにくいのかもしれないです。

では、この世界を目指す若い子たちにアドバイスをお願いします。

加藤 いまは個人でも色々作れる環境が多いものの、上の人から怒られてもいいのであれば、誰かの下で経験を積んだ方が早いです。怒られたくない人は自分で作っていくしかない。わたしは怒られたくなかったので、自分でやっちゃいました。iPhoneでの撮影でも何でもいいので、とにかく作ることで、何も作ってないのに「映像ディレクターになりたい!」と思っても絶対になれない。とにかく完成させることです。作ってる間、やっぱりこれ違うなぁと思ってもボツにしないで、いったん最後まで完成させる。藤子・F・不二雄先生もそうおっしゃってました。たしか。

マニさんの下でアシスタントやってた人で、いまディレクターで活躍してる人はいるんですか?

加藤 リーガルリリーなどを撮っている大塚ユウコさん、あとメランコリック写楽やRollo and Leapsなどを撮っているアフガンRAYさんあたりはご活躍ですね。

彼らが仲良くしている次世代のバンドもいれば、一方ではマニさんが仲良くしているバンドもいる。お互いの持ち場で活躍して、もっと音楽シーンが盛り上がっていくといいですね。

加藤 そうですね。バンドや映像に限らず、いろんな仲間を持っておくことは絶対強みになると思います。売れそうなバンドだったり、ひたすら尖ってるバンドだったり、どれかに偏ってしまわないように一緒に成長していく。ポケモンにちょっと似てる感じもしますね。あくまでも主役はポケモンなんですけどね。


※前編はこちら

加藤マニ

1985年8月14日生。東京都青梅市出身。1995年の夏、自由研究の題材としてコマ撮りアニメーションを選び、ハムスターのイラストを書いた紙を切り抜き、父親の持っていたVHS-Cカセットのビデオレコーダーで1コマずつ撮影したことから映像制作に興味を持つ。2014年、冨田ラボ「この世は不思議 feat. 原 由子、横山剣、椎名林檎、さかいゆう」にて、SPACE SHOWER TV MUSIC VIDEO AWARD 2014 BEST VIDEO受賞。2015年、キュウソネコカミ「ビビった」にて、SPACE SHOWER TV MUSIC VIDEO AWARD 2015 BEST VIDEO受賞。2016年秋、マニフィルムス株式会社として法人化。現在は東京・代田橋の不気味なマンションを本拠に、映像監督 奥藤祥弘、大眉俊二、CGデザイナー 石原大毅らと共にWAHを結成。インディーズ、メジャーを問わずミュージックビデオ等の映像制作、広告デザインやウェブデザインをおこなう。

http://manifilms.net/